斗鬼正一書評  『河原者ノススメ』(篠田正浩著)

共同通信社配信 2010年1月 
掲載紙:南日本新聞、長崎新聞、愛媛新聞、徳島新聞、日本海新聞、山陽新聞、静岡新聞、千葉日報、上毛新聞、福島民友新聞、河北新報、山形新聞、秋田さきがけ、東奥日報 

河原者ノススメ (篠田正浩著)

 あの近松門左衛門ははみ出し者だ。なにしろ、「花は桜木、人は武士」の江戸の世に、武家の出でありながら、住処(すみ か)も服も決められて、芝居町ごと強制移転という境遇最下層 に落ちたのだ。京の河原で歌舞伎創始の出雲阿国だって、流浪の遊女、歩き巫女(みこ)だったという。

 これはいったいどうしたことか。篠田監督が「知らざあ言って聞かせやしょう」というのが、壮大な日本芸能史の深層だ。

 人は混沌(こんとん)が支配するカオスの闇の中では生きられない。だから無秩序排除して、合理、条理、理性、知性のコスモスを作る。ところが人は、そうした秩序に倦(う)み窒息、活力失って、カオスにあこがれる。

 そこに待ってましたと登場するのが、カオスの世界を媒介する芸能者。合理、理性はみ出した、荒唐無稽(むけい)の芸能 で、異界、他界、神の言葉を物語る。そんな芸能に人は熱狂、世は活力取り戻すのだ。

 「あゝそれなのに」、人の世・異界、コスモス・カオスのはざまにはみ出して、秩序揺るがす劇的パワーもたらす両義性ゆえ恐れられ、差別、弾圧、統制の運命背負わされる。

 これじゃ「お上に怨(うら)みは数々ござる」となるのももっともだが、先人たちは芸能者を、神に連なる聖なる者と、畏怖(いふ)の目でも見てきたのだ。それはいつの世も、劇的パワーで閉塞(へいそく)打ち破り、革新、活力くれるのは、はみ出し者だからだ。
 
 合理、功利、科学的と走り続けた日本も、今や混迷、閉塞、意気消沈。だからこそ荒唐無稽、非合理のはみ出しで、世を革新の自由人の出番なのだろう。
 何しろ人の世は、いや人間そのものが、合理・不合理、条理・非条理、「虚実皮膜」のはざまの存在なのだから。

 そんなこんなも桜吹雪はお見通し。幕末閉塞天保の世に「散 らせるもんなら散らしてみろぃ」と芸能弾圧に楯突いたはみ出し奉行遠山の金さんは、やっぱり名奉行だったのだ。(斗鬼正一・江戸川大学教授) (幻戯書房・3780円)