人生オリエンテーションとしてのニュージーランド研修

                    斗鬼 正一 

 ニュージーランドも13回目だが、今年は、自分たち日本人がずいぶんと貧しくなったように感じた。というのは、1NZドルが一昨年50円、昨年は60円程度だったのに対し、今年は70円という円安だったためだ。これではニュージーランドでも人気の「2ドルショップ」が「140円ショップ」になってしまう勘定だから、ショッピングを楽しむなどという気分にはなれない。学生の参加が少なくて、いくつものアクティビティがキャンセルになったのも道理だ.

 今年の学生は大変だった。でもこの「生活苦」もたった3週間。ベジマイトを舐めてでも、生き延びることはできた。学生たちには長い人生、さまざまな困難が待ち構えている。この円安の原因も、日本経済が依然として深い泥沼にはまったまま、脱出の糸口さえも見えないことなのだから、2年後の就職活動では大変な困難に直面することになるだろう。職を得ることができない学生も出てくるだろう。ところがそんな就職活動に挑戦しなければならない時になっても、自分が何をしたいのかわからない、という学生は少なくない。これでは明確な夢を持った人たちに負けてしまう。結婚、子育て、老後の生き方、といった選択を迫られる場面でも、同じことだ。

 なぜ多くの学生たちが、そうした夢を持てないのだろうか。それは、たくさんの見本を見てきていないからだ。あるいは、ありきたりの見本しか知らないからだ。人は未知の職業に、生き方に、あこがれることは有り得ない。選択は、本人が知っている範囲からしか有り得ない。ある職業の存在を知って初めて、その職業につきたいと憧れるのだから、存在自体知らなかったら、あこがれ、追求するはずがない。だからこそ、大事なのは多くの見本を知ることなのだ。多くを知っているほど、経験しているほど、選択の幅が広くなり、本当に自分にふさわしいものを選べるようになる。だから学生時代にはできるだけ多くのことを知り、経験するべきなのだ。それも、できるだけなじみのないもののほうが良い、ということになる。

 そこでこのニュージーランド研修だ。何しろこの研修では、見本が山のように待ち構えている。それも、夕方5時には家族全員が帰宅して、全員で食事のしたく、その後は団欒を楽しみ、10時には寝る、日曜も家族皆で教会に行き、ガーデニングに精を出す、といった日本ではまずお目にかかれない種類の生活だ。職業観も家族観も人生観も、とにかく違う。そうした生き方を、単に知る、というのではなく、現場で、生で経験する。これは本当に貴重なことなのだ。選択肢が猛烈に広がる。そうした見本も含めて、自分の理想の職業、家族、人生を考えることができるのだ。

 だからこの研修は、単なる異文化研修、英語研修を超えているといってよいだろう。いわば最高の就職オリエンテーション、結婚オリエンテーション、そして人生オリエンテーションなのだ。2年後、10年後、そして40年後、この研修は、学生たちが人生を切り開いていく上で大きな力になってくれることだろう。 
                                     2003年ニュージーランド海外研修記録