斗鬼正一書評  『犬の帝国 幕末ニッポンから現代まで』(アーロン・スキャブランド著、本橋哲也訳)

共同通信社配信 2009年11月 
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熊本日日新聞、愛媛新聞、徳島新聞、山陰中央新報、日本海新聞、山陽新聞、静岡新聞、新潟日報、神奈川新聞、埼玉新聞、下野新聞、山形新聞、秋田さきがけ、東奥日報

なぜお父さんは犬なのか、携帯会社は教えてくれないけれど、なぜかシェパードといえばドイツ第三帝国、ブルドッグならイギリス人と、企業も国家も人々も、自他の弁別には人類最良の友=犬が登場する。

これは、他者との差異強調でアイデンティティを確認する人間にとって、身近で、飼主を映す犬は格好のメタファーだからなのだが、だからこそ犬という視点から、いやハチ公の垂れ耳からだって、歴史が、日本人が見えてくるというのがこの本だ。

日本人の犬を見る目は猫の目で、文明開化は洋犬崇拝、土着犬迫害。植民帝国めざす己の優越性確認では一転、主への忠誠という日本人の特質を映す「日本犬」なるカテゴリーを創造、秋田犬を天然記念物と称揚し、中国人を映して不潔な中国犬との違いを喧伝した。

ついに戦争となれば、なぜか兵隊が犬の「のらくろ」で子どもたちの軍隊への興味を掻き立てたのだが、修身教科書にもデビューして、抜群の教育効果を利用されたのが、あの忠犬ハチ公だ。

ハチ公は忠誠の鏡だから、当然外国犬の血で汚されていない「日本犬」でなければならない。ところが困ったことに、垂れ耳、垂れ尾で「日本犬標準」の規格外だった。

だから上野の科学博物館のハチ公剥製は、耳をピンと立て、尻尾を巻いて整形され、渋谷のハチ公像は、結局お国のために徴用、鉄砲玉にされてしまったのだ。

平和が戻った戦後、ハチ公は垂れ耳で再デビュー。渋谷ギャルにも大うけで、ついにはハリウッドにもデビューした。

こうして今や、ハチ公から、チワワのくぅ〜ちゃん、お父さん犬まで、最良の友は徹底的に商業化、商品化されてしまっている。

それでも、「どうする?」とうるうる瞳で命の大切さを教えてくれるくぅ〜ちゃんのほうが、耳をピンと立てられ、忍ヒ難キヲ忍ぶ「戦争の犬たち」にされてしまったハチ公よりずっとワンだふるなことは間違いない。
    
           (斗鬼正一、江戸川大学教授) (岩波書店、3200円)