斗鬼正一新聞書評
  
2012年7月 掲載紙 共同通信、沖縄タイムス、宮崎日日新聞、大分合同新聞、高知新聞、徳島新聞、中國新聞、神戸新聞、静岡新聞、岩手日報、秋田さきがけ、東奥日報他 

 心身探究の足跡追う

「『腹の虫』の研究」 長谷川雅雄ほか著

 自分って何? これこそは人類最大の謎だ。何しろ自分の心や体といっても、勝手に痛み、うずき、病む。だから、心身とは何か、自分は何にどう動かされているのか、こんな謎を、ご先祖様は探究し続けてきた。その足跡を、医学、国文学、文化人類学という「複眼」で追ったのが本書だ。

 心身が操られるのは何かの侵入によると考えたご先祖様が、最初に「見た」正体は鬼、悪霊。心身不調はもののけがとりつくためと「理解」したご先祖様にとって、調伏こそが治療法。これが平安以来の「霊因観」だ。

 ところが室町、戦国、江戸の各時代のご先祖様には、体に巣くう奇虫の姿が見えてきた。腹や胸が痛む身体症状から、壁土を食べる異食症、ふさぎ、つかえ、喜怒哀楽まで、操るのは、心身をつかさどる「五臓」に飛び入る「身中の虫」だとする「虫因観」だ。

 腹の中から「物いう声」が聞こえ、自分の声と言い争うという奇病も、江戸の名医は「応声虫」の侵入と診断。虫という病因が見えたのだから、治療法は当然オジャマ虫の駆除で、応声虫には「雷丸」なる妙薬が、「胸虫」ならば童子の大便パウダー入りしょうが汁「胸虫薬」が処方された。

 こうした江戸医学は、侵入したウイルスが病因だからワクチンで駆除するという現代医学と実は同類で、それなりに合理的な「説明」なのだが、幕末、明治期に、欧米から侵入した近代医学によって非科学的と駆除されてしまった。

 こうして現在は、「疳の虫」も自律神経失調症による神経異常興奮などと説明されているが、探究はご先祖様から子孫に引き継がれ、いずれ、どんな心身不調も完璧に科学的に説明されるだろう。

 だが、いくら科学的に「理解」したところで、なぜ自分がそんな不幸な目に遭うのか「納得」はできない。勝手に腹が立ち、胸が痛むわが心身は、やはり永遠に人類最大の謎なのだろう。(斗鬼正一・江戸川大教授)

 (名古屋大学出版会・6930円) 

 はせがわ・まさお 南山大教授などを経て、現在は同大名誉教授