粋なお江戸の船遊び 屋形船 |
川端裕佳 |
屋形船
屋形船の歴史は古く、平安時代から貴族の遊びとして利用され、江戸時代に最も盛んになった。
屋形船では天ぷら、刺身、おつまみなどの食事・料理、お酒、ビール、焼酎、ジュースなどの飲み物が用意されている。無料でカラオケを楽しむこともできる。希望によっては、別途料金でコンパニオンを頼むこともできる。
屋形船には四季にそれぞれの屋形船の楽しみ方がある。3〜4月には春の花見船、潮干狩り船、投網船、5〜8月には夏の潮干狩り船、花火船、納涼船、9〜11月には秋のハゼ釣り船、月見船、投網船、11〜2月には冬の忘年会、新年会、カレイ釣り船がある。
投網
投網とはかぶせ網の一種で、船上または陸上から
一人の力でおおいかぶせるように投げ入れる。
江戸川では投網漁500年の伝統があり盛んなため、
昔に比べると減ってはいるが、今でも屋形船でベテラ
ン船頭がその技術を披露するため投網漁を行っている
船も多い。
あみ元
新中川から旧江戸川にかけての付近では一番古くから船宿を営む、今の船頭は14代目の『あみ元』。この『あみ元』の船は、代々、殿様の飲む水を汲むのに使われていたため、殿様専用の船があった。
昭和30年頃までの屋形船は、三越や国分、神田、などの限られた人々の「高級な遊び」で、鴨猟や釣りを楽しむものであった。
昭和50年に入ると、バブルの影響で屋形船の利用客が大幅に増え、大型の船へと変わっていった。この頃、百姓、海苔屋、漁師などそれまでやっていた仕事をやめて船宿を始める家が急激に増えた。
女将は、昔は限られた人の「高級な遊び」であった屋形船を考えると、ゆったりした気分を川の上で味わえ、おいしい食事がたっぷり楽しめ、今では誰でも気軽に利用できる屋形船を「安い遊び」になったのではないかと言う。
今、屋形船を続けていくには、いかに宣伝するかが重要であり、『あみ元』では、宣伝費は月に20万円はかかるという。ホームページで宣伝している所もある。そして、さらに大切なのがお客さんとの信用であり、「楽しかった、また来るよ。」という言葉を言ってもらえた時が屋形船をやっていて一番嬉しい時だという。
江戸川遊漁船組合
江戸川区では5月1日〜31日を遊船紹介月間として、屋形船の利用料金を割引している。
江戸川遊漁船組合には、あみ徳、あみ弁、あみ元、あみ幸、岡田屋、豆や、すずや、あみ豊、網さだ、あみ貞、田川屋、あみ武、吉野、須原屋、たかはし丸、山本、あみ忠、あみ達、等々名を連ね、旧江戸川、江戸川、新中川に沿って並んでいる。
新小岩駅、小岩駅、一之江駅、葛西駅からバスの便があり、船宿によっては送迎バスもある。また、各船宿に駐車場がある。
熊野神社
新中川に架かった瑞穂大橋を渡って、川沿いを南に進んでいくと右側に熊野神社がある。
熊野神社は、旧下今井村の鎮守で俗に「おくまんさま」と呼ばれる。宝永四年の創建で、祭神はイザナミの神である。江戸時代から舟人の信仰が厚く、江戸川を上下する舟は、お宮の前を通るときは、必ず白帆を下げ、はちまきを取って航行の安全を祈ったと言う。
この神社の前の江戸川には、たくさんの「だし杭」が打ってあるが、このだし杭の下は深くえぐられていて、このあたりの水はきれいで、こなれていた。徳川将軍家では、このあたりの水を尊重して、水船を使って、この水を殿中に運び、茶の湯をたてるのに使った。そこで、人々は「おくまんだしの水」と呼んで珍重した。
「おくまん」というのは、お熊さま(熊野神社)のことであり、「だし」はだし杭のことである。この水はその後も、本所、深川、大島(亀戸)あたりに売られ、野田の醤油の製造にも使われた。
鳥居をくぐると左側に蕉の句碑が建っている。この地に訪ねておくまんだしの清らかな流れに映る松影を見て、
茶水汲むおくまんだしや松の花
と一句を詠んだという。