自然と人間との関わりの変化 −親水公園の事例を通じて− |
9811010 池田智子 |
これまで、山や崖の多い地方や海岸に洪水や土砂崩れが多く、東京のような都市は水害とは無縁だというイメージを持っていた。しかし歴史を調べてみると、実際には大雨によって何度も水害が起きていることが分かった。
建物や道路などで地面が覆われている割合を表す被覆率は、東京23区の場合、68年に74%だったが、91年には82%とますます雨水が自然浸透しにくい状況になっている。
今回フィールドワークを行なった江戸川区では、治水とどぶ川の整備という2つの理由から日本初の親水公園が造られた。第一号は古川親水公園(73年)、その後造られた順に小松川境川親水公園(82年)、新長島川親水公園(91年)、新左近川親水公園(93年)、一之江境川親水公園(95年)の5つがある。
親水とは、治水、利水という従来の機能とは別に新しく位置付けられた機能である。具体的には、水辺の持つレクリエーション機能、心理的満足機能、空間機能、防災機能などを併せた機能で、水辺が自然に存在するだけでなく、人間との心理的・精神的な関わりをも含んだ概念である。提案された当初は理念的な言葉にとどまっていたが、古川親水公園により具体化された。
オープンスペース、自然空間としての水辺に注目が集まり、散策、スポーツ、釣り、水遊びなどを楽しむ人が年々増えている。都市のインフラストラクチャー(道路・鉄道・上下水道・電気・通信などの施設)の整備、生活水準の上昇、余暇時間の増大、公害問題の緩和などを通じ、身近な自然環境への要望、意識が高まってきたことが背景と考えられる。
東京都では住民意識調査により、住民の水辺の利用実態や今後の利用意向を把握し、水域毎に「水とふれあう」「景観を楽しむ」「スポーツをする」「自然を観察する」等の「期待される利用形態」を設定し、水辺のタイプ毎に期待される利用形態を分類している。
また各利用形態に相応しい水辺環境を構成するために、水質、流況(水深など)、水辺の構成(護岸の材質など)等の要素を抽出・計測し、利用形態別に水辺環境の評価を行なっている。
このような方法により、水辺の現状や将来目標を理解することができ、住民と専門家(行政施策者)との対話を促進し、水辺に対する住民の満足度を高めるとともに、水辺の維持・管理における高い関心、意識を育むことができると考えられる。
川と人々との関わりをみていくと、人々が「自然」をどのようにとらえ、コントロールしてきたかということが分かる。
親水公園の第一号である古川親水公園は、コンクリートで固められており、ろ過した水を塩素滅菌している。もちろん生き物は棲めない。しかし95年に完成した一之江境川親水公園は新中川の自然水を流し、水生生物が生息できるようになっている。調査によれば、150種以上の生物が生息している。また、周囲にはアシなどを配し、「四季とふれあえる、水辺にふさわしい植栽」を形成している。同時に、害のある植物は抜くなどの配慮もなされている。
話をうかがった江戸川区環境促進事業団の職員によれば、これは「時代の流れ」だという。昭和47〜48年の人口急増により雑排水が大量に流入した河川は、消毒され、子どもが自由に遊べるプールのような川となった。時を経て「自然」が求められるようになったが、それは周到なコントロールがされていて初めて人々に受け入れられる「自然」なのだ。良質な自然空間の維持と、再開発などの機会を利用した人工的な親水空間創設の両者のバランスが保たれている。
宅地開発などで原野などを切り開いたとき、下流域で洪水などの被害が起きないよう雨水を一時的にため、流出を調整する施設である貯水池についても、時代の経過とともに親水機能が求められるようになった。
高度経済成長期にはコンクリート張りのダムのようで、フェンスに囲まれ街並みにそぐわなかった。数年あるいは数十年に1回の出水時にしか役割が見えないため、「無駄なもの」というイメージも強かった。
しかし80年代の地価高騰などで土地の有効活用が求められるようになり、調整池の整備のキーワードは「他目的利用」となった。87年には住宅・都市整備公団などが「防災調節池の多目的利用指針」を作成した。その結果、冠水時以外は駐車場やグラウンドとして利用され、さらに自然とふれあえる場所として公園内の水辺にもなる調整池も次々と誕生した。
古川親水公園では子どもを遊ばせている2人の母親に話をうかがった。江戸川区について公園の整備・保全がよく行なわれている、保育の補助などの福祉が行き届いているなどの点で子どもを育てやすい環境だという感想を得た。また、公園沿いの家の男性は、親水公園ができてから散歩をするようになったと話していた。
船堀歴史会の方々は江戸川区に長く住んでおり、戦前から川の変遷をみている。子どもの頃、江戸川でフナやコイ、ハマグリなどを獲って遊んだという思い出を話していただいた。そのため、親水公園に対する評価は複雑なものだった。「どぶ川よりはいいが、親水公園は人工的でわざとらしい」「川が死んだ」「寂しい」という意見が聞かれた。
東京には河川が多く流れており、その分水害や人口増加による汚染は人々の生活に深く関わることになる。江戸川区の川について言えば、魚が獲れるような自然の川、どぶ川、水が消毒されコンクリートで整備された川、人々の理想の「自然」としての川というように、時代とともに姿を変えている。高度経済成長期以降は清潔さや効率性だけではなく、水辺の特性を生かした利用が求められ、親水公園やレクリェーション公園が造られた。そうすることによって水害やどぶ川の印象だけではなく、水辺の良さが認められ、住民の求める水辺イメージはより高度なものとなっていく。それが、古川親水公園から一之江境川親水公園への変化の理由ではないだろうか。
それぞれの時代背景、立場、思い入れの深さによって、川に求められるものや理想の形はまったく異なる。今後、船堀歴史会の方が話していたような「1時間で魚が100匹獲れた」ような川が復活することはないだろう。その代償として、一見しただけではコントロールされているとは分からないような「自然」の川を作り出している。このような現象は、川に限らずさまざまな場面でみられる。
*参考資料
『まちづくりキーワード事典』三船康道・まちづくりコラボレーション
学芸出版社 1997年
『読売新聞』 2000年8月30日、9月14日
『江戸川区環境促進事業団事業概要 人と自然のハーモニー』
財団法人江戸川区環境促進事業団 平成8年