五十嵐太郎編著『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)書評

共同通信社配信、南日本新聞、熊本日日新聞、長崎新聞、日本海新聞、山陰中央新報、山陽新聞、徳島新聞、四國新聞、愛媛新聞、高知新聞、福井新聞、北國新聞、岐阜新聞、新潟日報、信濃毎日新聞、神奈川新聞、河北新報、岩手日報、秋田さきがけ新報、北日本新聞、東奥日報に掲載。

福井新聞 2009419(日曜日)

          “内なる外れ者”を総覧
                               斗鬼正一 江戸川大学教授

 キャバクラ嬢がメーン読者の雑誌「小悪魔ageha」のモデル嬢から、しゃがみ座りの暴走族、歌手浜崎あゆみ、ツッパリスタイルのキャラクター「なめ猫」、歌舞伎までヤンキー文化でくくり、総覧しようというやばい(すごい)本だ。

 何しろ相手が相手だから、研究は未開拓、パンピー(一般の人々)からは忌避される。確かにボンタン(極太の変形学生ズボン)に庇リーゼント、ヤン車(ヤンキー仕様の改造車)の暴走族となれば、学校、権威、成熟、洗練と、何でも拒否。既存文化や社会の外れ者、というわけで、ヤバイ(危ない)と烙印を押され、忌避、排除されてきたのだ。

 ヒトは本来持つ動物性を文化という枠組みに押し込め、統制し、秩序ある社会を維持してきた。だが必ず枠組みに納まりきれない外れ者が存在し、その居場所、生き方としてヤンキー文化が発生してしまう。だから忌避、排除は不可避なのだが、他方で、日本人にはヤンキー的感性が内在し、日本文化の底流にも不良的要素が流れているし、大衆受けにはヤンキー的要素が不可欠だという。

 確かに、金閣寺、東照宮、歌舞伎からキティちゃんまで、日本人がゴージャスを追求すれば必ずヤンキー臭が漂ってくる。ヤンキーは内なる外れ者、というわけなのだ。

 出雲阿国が河原でさえ歌舞伎踊りを禁じられたように、どんな時代でも新たな文化を創造し、ヒ卜や社会を活性化するのは、文化、社会の中心から排除され、周縁にいる外れ者。だから単に牙を抜いて枠組みの中に取り込んでしまってはだめということにもなる。

 そんな貴重種ヤンキーも、今や絶滅危惧種。でも日本人のDNAに組み込まれているのだから、必ずや形を変えては現れ、受け継がれていくことだろう。何しろヒトは、いつの時代だって枠組みから抜け出て、弾ける時が必要なのだ。だから閉塞感充満の今、このやばい序説のさらなる深化を、夜露死苦!

『河北新報』4月12日