テオドル・ベスター著 『築地』 書評

東京新聞、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞ほか掲載
200748 

魚河岸=文化的装置を解読 

東京ど真ん中の異国、といっても黒船の外圧で出現した築地外国人居留地ではない。有名なのに未知の国、築地市場だ。時差六時間、昼夜逆転で「ネコ」(台車)や「ターレット」(小型三輪トラック)が疾走し、男達は手を振りかざして、意味不明の言語でがなる。勝手分からぬ混沌は、銀座の向こうの不思議の国だ。

そんな魚河岸、ガイドしますと、グローバル何とやらの国からやって来たのが、日本語ペラペラの文化人類学者。寿司屋のワタナベさんと意気投合、仲卸のスズキさん、ムラマツさん…とヒゲの顔を広げ、市場に溶け込んだ。

以来聞き込み観察十数年、符丁から火事見舞いまで、何でも見てやろう式フィールドワークだから、大物業者チヨマルの跡取りの修業先は仲卸業者で、奥さんはすしだね専門店ウオロクブンの娘。だからいずれ両方継いで、卸と仲卸の合併へ…と実に細かい。そうして統計や経済理論では見えない日本の市場、取引というものの具体像を、ナマで見せてくれる。

つまり、せりの仕組みも業会も、多様な水産物を細かく使い分け、季節、儀礼、地方で食べ分ける多彩な料理へ変身させて、アイデンティティの強化にも利用する食文化に対応した仕組みだという。

ガバナンスも、市場経済の「見えざる手」ならぬ「義理」という名の「見える手」だ。家族企業は、親族、親方徒弟、同郷、同窓と網の目に結ばれて、店も客も長期信頼関係、「なじみ」の取引共同体。まさに日本社会の仕組みそのものだ。

銀座の向こうの不思議の国・魚河岸が、我が食文化とアイデンティティを支え、社会の変化を取り込んで、変身、繁栄できたのも、実は日本の文化、社会と連動した文化的装置だったから、というわけだ。こうして混沌を読み解いた黒船の国の名ガイドは、百二十年前にも移転計画があったの?という私たちに、身近な我が姿こそ、外圧抜きの我が目でしっかり見据えるべきだと教えてくれる。

評者 斗鬼正一 (江戸川大教授)

『築地』テオドル・ベスター著、和波雅子、福岡伸一訳
木楽舎、3990