斗鬼正一研究業績 都市空間論 |
「江戸・東京と水辺の遊興空間」
2003(平成15)年3月
『東京湾学会誌』2巻1号、東京湾学会
概要
遊興空間がなぜ水辺に集まるのかを、江戸・東京の事例により検討。自然に対抗して作り上げた都市という文化によって、自らがんじがらめにされた人々が、異文化、他界、超自然、そして自然への擬似回帰による再活性化を可能にする仕掛けとして作り上げたのが遊興空間であり、水辺こそがそれにふさわしい場として選択されていることを示した。
p30〜p38(全46ページ)
「花見から見た都市、江戸・東京」
2003(平成15)年2月
『情報と社会』第13号、江戸川大
概要
江戸・東京を事例に、花見という文化の仕掛けを考察し、さらには都市というもの、それを作り出した人というものの姿を示そうと試みた。
花見の名所の空間的特徴が、都市と田園との境界的空間、山、寺社、墓地、水辺という日常空間との境界的空間であること、花見の宴の場が、屋外の、仮構的な、境界の曖昧な空間であること、宴の特徴が、非日常的振る舞い、酩酊、喧嘩、時間無視、変身、性的自由であることを指摘した。
それはすなわち、文化によって統制された空間や、文化による人々への統制から逸脱し、他方で自然の生命力に触れ、死への接近、復活による擬似的再生を可能にするものであり、花見が、自ら作り出した都市と、そこでの生活という文化の枠組みの中で、活力、生命力を失っていく人々が、自ら再活性化するために作り出した文化の仕掛けであることを示した。
p57〜p67(全123ページ)
「江戸・東京と富士山−都市人類学的考察−」
2002(平成14)年2月
『情報と社会』第12号、江戸川大学
概要
自然を排除した大都市江戸・東京は、他方で、「富士憑きの都市」と言われる。地名、都市計画、富士山形建築、庭園や遊園地などの人工富士山、銭湯のペンキ絵の富士山、富士山を食べる食品、といった「うつし」の事例と、富士の仙薬、富士講など富士山を信仰の対象とする宗教の事例から、自然を排除しつつも、自然の力を取り込む仕掛けを準備した、日本的都市の姿を明らかにした。
p10-p109(全211ページ)
「都市にうつした海−銭湯の都市人類学−」
2001(平成13)年11月
『東京湾学会誌』1巻5号、東京湾学会
概要
東京の銭湯の特徴である、山(富士山)と水(海、湖、川)という自然をうつした背景画、海のうつしである湯船、海水湯などを擬似自然、寺・霊柩車・仏壇と類似した宮造り建築などを擬似他界としてとらえ、ケガレを払う仕掛け、裸と性という文化からの一時離脱による再活性化の仕掛け、山入りの代替として自然のエネルギーを取り入れる仕掛け、死と再生を擬似体験させて生命力を取り戻す仕掛けとして作り上げた銭湯の文化的意味を考察した。さらに、都市という自然を排除、統制した空間で、文化に統制されることによる活力枯渇に、再び自然を統制した形で導入する日本文化、日本の都市というものの姿を浮き彫りにした。
p145−p152(全 ページ)
「トマソンの都市人類学−「変なもの」から見た都市−」
2001(平成13)年2月
『情報と社会』第11号、江戸川大学
概要
塀が無いのに門だけがある「無用門」、山が無くコンクリートの枠だけ存在する「無用トンネル」、路上に置かれ植木鉢代わりに使われている便器、踊り場が無く開けたら転落するしかない高所の扉、といった都市空間に発生する「変なもの」を考察。無機能なもの、機能・空間・物の分類を犯すものが排除され、すべてが分類、評価され、対応行動が決定されてしまっている、文化によって意図されたものとしての都市空間の本質を探った。
p115−p118(全199ページ)
「埋め立て地から見る都市」
2000(平成12)年12月
『東京湾学会誌』1巻4号、東京湾学会
概要
波動、ゼロメートル地帯の例からも明らかなように、文化の産物である都市空間と自然の海の境界は本来不明確である。しかし都市は文化による自然の徹底排除、統制が不可欠である。そこで東京湾埋め立て地を事例に、物理的、文化的にどう自然から切り取られ、維持されているのか、都市で内部発生する自然の排除にどう利用されているのかを検討することによって、人間の作り上げた最大の文化である都市とは何かを考察した。
「クライストチャーチの都市空間と行動の統制」
2000(平成12)年2月
『情報と社会』第10号、江戸川大学
概要
文化によって作られた都市の内部に発生する自然である人々自身の本能的行動が、どのように統制されているかを検討することによって、ニュージーランドの都市と、それを作り上げた文化を考察した。事例は行動の統制、すなわち飲食、飲酒、喫煙、排泄、音、熱狂行動、犯罪、移動、空間占有、行列、落書きといったマナーに関する文化である。
p91−p103(全176ページ)
「クライストチャーチの都市空間と清潔感」
1999(平成11)年2月
『情報と社会』第9号、江戸川大学
概要
入居、住居の掃除、ごみ処理、下水処理、雑草の扱いといった事例からニュージーランド人の清潔感を報告。汚れを動物としての人から生じる自然、清潔化をそれに対する文化による統制ととらえ、都市空間が文化により徹底的に統制された空間として確保、維持されるのに対し、身体、住居空間の清潔化にはさほど熱心とはいえないニュージーランド文化の背景にあるのが、家族、近隣市民といった我々意識であることを示した。
「都市空間・植物・エスニックアイデンティティー−クライストチャーチの予備調査資料から−」
1998(平成10)年2月
『情報と社会』第8号、江戸川大学
概要
イングランド、スコットランド、アイルランドなどからの移民であるニュージーランド人の植物への対応をアイデンティティの変動に注目して検討。新天地の固有種を排除し、祖国の植物相を創造しようとした人々が逆にニュージーランド固有種を復活保護しようとする背景に、ニュージーランド人としてのアイデンティティへの希求があることを示した。それを通して、排除、保護とともに、自然を徹底的に統制しようとするニュージーランド文化の自然観、また、そうして作られた都市がどのようなものとしてとらえられているのかを考察した。
p.101〜p.109(全168ページ)
「香港の都市空間と社会−汚れと自然の視点から−」
1998(平成10)年10月、八千代出版』
『アジア世界:その構造と原義を求めて(下)』、第4章、大胡欽一編、渋谷研,石川浩之,馬淵悟,木佐木哲朗,森谷祐美子,杉井純一,高桑史子,柵橋訓共著、p.55〜p.71(全211ページ)
概要
自然の支配する空間から,都市空間がどのように切り取られ、文化によって統制、確保されているのかを,清潔感に注目し,香港の人々の我々意識との関連において検討。人々自身の作り出す自然である汚れ,清潔化への文化による統制の事例から,文化の作品としての都市とは何かを展望した。
「クライストチャーチの都市空間と動物−予備調査資料から−」
1997(平成9)年3月
『情報と社会』第7号、江戸川大学
概要
国土、牧場、都市空間、住居空間という空間分類との関係に留意して、繁殖、ペット、命名、清潔化、愛護害獣駆除、そして死体処理といった動物に対する統制の事例を調査。自然の動物は国土全体のレベルで文化により徹底的に統制するべきとするニュージーランド文化の動物観、自然観を考察、都市空間もそうした文化によって作り上げられていることを示した。
p.89〜p.103(全191ページ)
「江戸・東京の都市空間と動植物−都市人類学的考察−」
1996(平成8)年2月
『情報と社会』第6号、江戸川大学
概要
文化の自然に対する支配を貫徹しようとして、文化が作上げた江戸・東京の都市空間において、食料、材料、案玩、鑑賞などの為に、動物、植物がどのように導入され、また統制なしに侵入した動物、植物がどのように扱われるかを、事例を用いて検討した。それを通して、自然を統制するために成立する文化、それによって作られた都市空間、そして文化を作り上げた、本来動物であるヒトの本質的理解を目指した。
p.57〜p.75(全160ページ)
「香港の都市空間と自然−食文化の事例から−」
1995(平成7)年4月
『中国関係論説資料』36、論説資料保存会
概要
人間は身体空間の内部、外部の境界を明確化することが存在の基本要件であるが、他方で新陳代謝が必要で、外部から他の生物の身体を摂取しなければ生存していけない。それゆえ、境界明確化のために料理にまつわる多くの文化的統制が設定されている。これは都市空間でも同様のはずで、食のために都市空間に取り込まれる自然の諸要素をどの様に統制し、都市空間を、自然の支配する空間との間に境界が設定された、文化の支配する空間として確保、維持しているのかを検討した。
p.95〜p.104(全209ページ)
「香港の都市空間−空間占有行動の統制の事例−」
1995(平成7)年3月
『情報と社会』第5号、江戸川大学
概要
香港の都市空間における行列、座席確保、などの空間占有行動に対する文化の統制を事例として、自然を統制し、文化を支配する空間としての都市空間を確保、維持するために、他ならぬ文化の主体たる人間自身の動物性がどのように統制されているかを検討した。
p.51〜p.63(全218ページ)
「都市空間と自然−香港の社会と動植物−」
1994(平成6)年4月
『中国関係論説資料』35、論説資料保存会
概要
都市空間を文化の自然に対する支配が徹底した空間ととらえ、そこに侵入する、そして人々自身が持ち込む動物、植物という自然を、文化がどの様に統制しているのかを、食、ペット、野鳥、動物園、植物園、街路樹落ち葉処理、せん定などの事例から探り、香港人の我々意識との関連を検討した。
p.91〜p.100(全180ページ)
「香港の都市空間と自然−食文化の事例−」
1994(平成6)年3月
『情報と社会』第4号、江戸川大学
概要
人間は身体空間の内部、外部の境界を明確化することが存在の基本要件であるが、他方で新陳代謝が必要で、外部から他の生物の身体を摂取しなければ生存して行けない。それゆえ、境界明確化のために料理にまつわる多くの文化的統制が設定されている。これは都市空間でも同様のはずで、食のために都市空間に取り込まれる自然の諸要素をどの様に統制し、都市空間を、自然の支配する空間との間に境界が設定された、文化の支配する空間として確保、維持しているのかを検討した。
p.95〜p.104(全209ページ)
「佃島の地名−江戸・東京ウォーターフロントの事例−」
1993(平成5)年11月
『東京湾の歴史』、高橋在久編,沼田真監修、高橋覚、筑紫敏夫、綿貫啓一、大谷貞夫、平野馨、仁科又亮、田村勇、川名興、森田保、小林梅次、中嶋清一、佐藤毅、中山吉秀、高橋克共著、第3章6P148−P157、(全237ページ)j、築地書館
概要
佃島、三河町、出雲町、八丁堀といった江戸・東京の東漸地名や、縮景庭園、富士塚、別院、出開帳など、首都の都市空間に見られる国土空間の様々なミニチュアを事例に、文化が国土空間を読みとり、認識し、我がものとするために設定した様々な意味的機能を検討した。
「移民の空間的適応について−香港の事例−」
1993(平成5)年9月
『社会人類学からみた日本』、第3部、大胡欽一,村武精一編、河出書房新社
概要
移民を空間的側面からとらえ、中国大陸からの移民、難民である香港人が未知の、そして世界一の過密都市空間にどの様に適応していったかを、祖籍地の土、風景画の扱い、ごみ処理、住居空間といったもののレベル、社会的定位の準拠空間の確保といった我々意識のレベル、意味空間の都市計画への投影、物理的距離の象徴的解消といった空間のレベルにおいて検討した。
p.222〜p.235(全314ページ)
「都市空間と自然−香港の社会と動植物−」
1993(平成5)年3月
『情報と社会』第3号、江戸川大学
概要
都市空間を文化の自然に対する支配が徹底した空間ととらえ、そこに侵入する、そして人々自身が持ち込む動物、植物という自然を、文化がどの様に統制しているのか、食、ペット,野鳥,動物園、植物園、街路樹、落ち葉処理、せん定などの事例から探り、香港人の我々意識との関連を検討した。
p.91〜p.100(全180ページ)
「都市「地図」と都市像の情報文化論−東京銘菓の事例−」
1992(平成4)年3月
『情報と社会』第2号、江戸川大学
概要
文化要素には都市空間を分類、評価し、対応行動を記した「地図」が含まれる。本稿では東京の銘菓を事例に、ハード(意匠,包装,原材料等)ソフト(売られかた、買われかた、使われかた等)両面を検討、社会が東京、東京圏という環境をどの様に分類、評価し、この「地図」情報の伝達に銘菓をどう利用しているかを示した。
p.75〜p.90(全154ページ)
「都市問題への文化人類学的視点」
1991(平成3)年4月
『東アジアの文化人類学』、第II部都市と村落の構造 第4章、大胡欽一,高桑文子,山内健治編著、大胡欽一,高桑史子,山内健治,石川雅信,大胡修,林研三,加藤正春,石井昭彦,安田ひろみ,木佐木哲朗,森谷祐美子,安部宰共著、八千代出版
概要
深刻な都市問題である廃棄物の問題を、政治、経済、工学等在来の視点とは異なった都市人類学的視点から考察。捨てるとは、汚いとはどういうことなのか、といったこれまで等閑視されてきたもっとも基本的な問題に始まり、都市空間の不可視化、異文化間の摩擦等他の都市問題との関係をも検討し、問題への新たな理解と解決への方向性を示すとともに、都市という新しいフィールドに於いて文化人類学がどのような力を発揮できるかを提示した。
p.99〜p.120(全371ページ)
「情報伝達と象徴的境界−「国際都市」香港の事例−」
1991(平成3)年3月
『情報と社会』創刊号、江戸川大学
概要
社会はその環境を分類、評価し、対応行動を定め、成員に伝達していく仕組み、いわば意味空間の地図を文化要素として設定している。本稿では多民族、中国各地出身者混住の香港で、香港人の文化が、どのようにすでに存在した物理的境界とは異なる象徴的境界を設定し、意味空間の地図を伝達しているかを検討した。
p.55〜p.66(全183ページ)
「境界に関する一考察」
1989(平成元)年10月
『明治大学社会・人類学会年報』第3号、人間の科学社
概要
世界一の過密都市香港における現地調査の資料を用い,香港生まれ、育ちの人々が増え、さらに返還が近づくにつれて、香港人意識の高まってきた人々が、どのように自らの空間を切り取り、確保しているかを、我々意識との関連に注目して検討した。
p.26〜p.36(全210ページ)
「地図の象徴的機能」
1988(昭和63)年9月
『明治大学社会・人類学会年報』第2号、人間の科学社
概要
人間には情報受信、対応行動決定という情報処理の過程が蓄積された既知の環境が不可欠であるが、そのための情報量の削減、縮小、固定、すなわち一種の「地図」作製は、文化のレベルでの共同化によりさらに、合理化される。各文化はそれを成員に明示伝達し、遵守させるための多様な仕組みを用いる。本稿では住居空間という紙面に多様な「もの」を用いて描かれた「地図」の事例により、こうした「地図」の象徴的機能を示した。
p.156〜p.169(全255ページ)
「廃棄物の象徴的機能についての一考察−都市空間に関する文化人類学・社会心理学的視点−」
1987(昭和62)年9月
『明治大学社会・人類学会年報」第1号、人間の科学社
概要
廃棄物が単なるゴミではなく、象徴的機能を評価、利用され、それによって生態学的にも優れた処理を可能にしている事例を示し、廃棄という行為、清潔感等の意味論的分析の問題解決に対する有効性を通して、政治、経済、工学等の問題とされてきた廃棄物に文化人類学、社会心理学の光を当て、都市という新しいフィールドにおいても文化人類学が大きな力を発揮できることを示した。
p.138〜p.148(全227ページ)
「都市空間と人間」
1986(昭和61)年5月
『こころ・行動そして社会−人間の科学としての社会心理学−』、第4章、P306〜P323(全347ページ)、穴田義孝編,中野渡信行,池田一之,木谷一松,坪井健,高橋信行,泉田渡,斗鬼正一,石川雅信共著、人間の科学社
概要
高速化した移動手段が、頭のなかに「地図」の出来上がった安心していられる空間「領土空間」確保を阻害しているとされる。しかし、移動は統制されれば、安定した「地図」を伝達する機能を持ち、都市空間における「領土空間」確保の問題を考えるには、移動、交通に与えられた意味的機能を検討せねばならない事を、交通手段が激変するなかで安定した「領土空間」を確保している事例から示し、さらに交通の文化人類学的研究を展望した。
「我々意識の変動と方位」
1984(昭和59)年2月
『明治大学大学院紀要』第21集、明治大学
概要
我々意識上の連帯、区分は、通例空間的隔たりの大小によって自然に明示される。ところが空間的位置関係と我々意識上の関係の間に著しい不一致が生じた場合に、どう調整されるのかを、方位とそれによる空間的移動への統制に注目して検討した。事例は空間的には単一の集落に、複数部落に所属する人々が住み、集落と一致しない祭祀組織が存在したり、さらに町村合併、都市化、神社合祀等変動の激しい神奈川県中井町である。
p.1〜p.18(全371ページ)
「方位と我々意識−埼玉県川島町の事例−」
1983(昭和58)年2月
『明治大学大学院紀要』第20集、明治大学
概要
埼玉県比企郡川島町は大河に囲まれ、水害の被害の差と、用水確保の難易度という2要因により、ムラムラがカミ(上流側)からシモ(下流側)へと序列付けられてしまう。しかし他方水坊、用水路の維持のためにはカミ、シモ一丸の我々意識が確保されねばならない。こうした不安定な我々意識を安定させ、維持していくために人々が利用しているのが方位であることを、接客、座順、寝室区分、諸儀礼等の事例で示した。
p.1〜p.16(全397ページ)
「道と空間的・社会的定位−ユキミチを事例として−」
1982(昭和57)年2月
『明治大学大学院紀要』第19集、明治大学
概要
人間には自分の住んでいる地点、生活の展開する空間の空間的定位、自分、家族等が何者であるかという社会的定位を確認し、空間的、社会的環境の変動のなかでも維持していくことが不可欠である。本稿では通例の所与の道とはまったく異なり、人々が自由に踏んでいくことができ、ムラとムラ、住居と住居の順序、距離、方角等を自由に設定することができるユキミチの事例から、いかに空間的・社会的定位が確保されているかを示した。
p.33〜p.48(全549ページ)
「道の物質文化論III−新潟県津南町見玉に於ける道案内を事例として−」
1981(昭和56)年2月
『明治大学大学院紀要』第18集、明治大学
概要
人間の生存にはエネルギー、情報、「もの」等が不可欠で、そのためには空間的移動が必要となる。これを可能にするのが道であり、道を有効に使用するためにソフトウエアとしての道案内が用意される。道案内設定範囲、ランドマーク、方位、地名、距離、所要時間、周囲のムラや住居の指示名称等,文化によって用意され、公式化された道案内の事例を取り上げ、単なる道案内を超えて、社会構造維持にまで使用されている様を示した。
p.19〜p.32(全458ページ)
「道の物質文化論II−新潟県津南町見玉に於ける物質文化の導入・配置・廃棄を事例として−」
1980(昭和55)年2月
『明治大学大学院紀要』第17集、明治大学
概要
生活の理解には「もの」との関わりの理解が不可欠である。そこで衣服、履物の購入先、住居空間内への配置、行き先別使い分け、古くなるにつれての転用、配置の変更、掃除、廃棄物処理に伴う移動、給排水の経路等、空間と関連した事例による「もの」の移動の道を検討し、「もの」は決して身体保護、食用といった通例考えられる機能だけでなく、多くの意味的機能を評価され、利用されていることを示した。
p.93〜p.108(全476ページ)
「道路の物質文化論−新潟県津南町見玉のホンドウリを事例として−」
1978(昭和53)年12月
『明治大学大学院紀要』第16集、明治大学
概要
生活における人とものの関わりがますます複雑化する現代社会の問題を理解し、解決への道を探るために、即物的技術論中心の従来の物質文化論から、ものを作り、使用する人々の価値観、意味の世界の探求を目指す新しい物質文化論への変革を展望した。事例は、ホンドウリと呼ばれる特定の道路網であり、道路が単なる交通手段ではなく、意味的機能を評価され、使用されていることを示した。
p.1〜p.16(全426ページ)
「空間に関する事例研究−場の設定と物質文化−」
1975(昭和50)年3月、明治大学修士論文
概要
新潟県津南町見玉を事例として、住居、ムラの空間的切り取り方、境界の付け方、さらにその中への客、室内農作業等の受け入れ方、排水、鳥追い等の廃棄の仕方等を検討、住居ムラ,周囲の空間の中に、いかにして人々の価値観、意味空間が投影され「ウチ」とされる場が設定されているか、それに際し物質文化にどのような機能が評価され使用されているかを示した。
p.1〜p.352(全352ページ)