旅ゆけば・・・                               斗鬼正一

 東海道五十三次開設から400周年、「東海道400年祭」が繰り広げられる2001年夏、斗鬼ゼミ3年生と共に、「アド街・トキめき・東海道」と銘打って、駿河の国静岡、尾張の国名古屋へ2泊3日の旅に出た。ニュージーランド研修出発の直前、8月27日である。
 無論文化人類学ゼミであるから、本来の目的はフィールドワーク。お江戸日本橋ならぬ東京駅七つ発ち、東海道本線を各駅停車で下る。グループ毎に旧東海道蒲原宿、由比宿、新居宿、そして名古屋の街を歩き、調査を行った。明治時代の歯科医院建築を修復する蒲原、桜エビの市場拡大に頑張る由比、宿場町の町並み復元と伝統の手筒花火保存に力を入れる新居と、どの街でも郷土愛溢れる人々の試みを見せていただいた。そして地元の主婦、おばあちゃん、漁師さん等々、多くの方々の生活に即したお話しを伺うことができた。
 街、文化、社会、そして人々の探求を目指すゼミだから、どんな街にも歴史があり、人々の夢や希望があり、そして生活、人生がある、そうしたナマの、生きた、地域、社会の姿を、直接に見聞してもらう、という目的を十分に達したフィールドワークだった。
 しかし加えて予想外の成果もあった。第一にそれは、ゼミ生達に旅というもののおもしろさ、意味を考えてもらうことが出来たことだ。学生時代から休暇の半分は旅に明け暮れ、今も年甲斐もなく「青春18切符」の発売を心待ちにしている私には想像がつきにくいことだったが、かなりのゼミ生が、旅行というと修学旅行、帰省、家族旅行くらいしか経験がないのである。名古屋へは新幹線で行くことしか思いつかない、観光旅行ならツアーで連れていってもらうことしか思いつかない、というのである。
 人とその社会、文化を探求するのに、実際にそこへ行ってみなければ、会って話してみなければ話しにならない。その土地の生活を共にすることができれば、なお良い。そしてそのためには、まずは旅に出ることが必要なのだ。人間社会学科の学生として、旅はいわば必修科目。それなのに旅の経験が無いという。
 たしかに旅に出ることは、日常の生活空間から出ること、生活パターンを崩すことだから、面倒だし、不安だろう。しかし出かけなければ何も始まらない。出かけなければ、会えない、話せない、見れない、食べられない、ふれられない、感じられない。それゆえ出不精では困るのだ。
 そうした出不精の学生達に、この旅は大変良い刺激になった。だまされたと思って、わざわざ出かけてみたら、聞いていたとおり、未知の街、人々とのすばらしい出会いがあった。お金がかかるから、時間がかかるからと、出かけてみなければ、すばらしい体験はできなかった、ということを実感してもらえたのだ。出かけたことがないから、出不精という場合も多い。いったん旅に出ることの楽しさ、意味を理解したゼミ生達は、これからもどんどん飛び出し、世界を広げていくことだろう。
 今一つは旅の技術の一端を伝え、その意味を考えてもらったことだ。あまり旅に出たことのない人達、お膳立て済みの旅しかしたことの無い人達は、旅の技術を知らない。旅とはやたらにお金がかかるものだ、と信じているし、どんな仕方でも旅など皆同じようなものだと思っている。
 しかし実際には足も食事も宿も情報も、お金をかけない、節約する技はいくらもあるし、そうした工夫は楽しいだけでなく、様々な人、情報との出会いをもたらしてくれる。
 また旅の技術がないと、お膳立てしてもらう、新幹線で行く、観光バスでガイドに案内してもらう、ガイドブックの指示通りに歩く、といった旅しかできなくなる。それでもある街を一応知ったことにはなるのだろうが、それでは情報は質量ともに貧弱にならざるを得ない。それを実感させることで、自分の足で歩く旅の意味を知ってもらうことが出来たのである。
 そして第三に、視角を多様化する技術とその意味を知ってもらったことだ。人とは複雑怪奇な動物であり、その人が作った街も、社会も、、文化もまた、複雑きわまりないものだから、視角を多様化させればさせるだけ、見えなかったものが見えてくる。そして理解が深まるということになる。偶然性がなく、一定の視角でしか見ないお仕着、定番の旅では見えないものが多すぎる。同じ路線に乗るのでも、乗り方、目の付け所によって見えてくるものも違う。バス停での待ち方、時刻表の見方、切符の表示の見方などといった小さな技術も、普通なら気づかない様々な情報をもたらしてくれる。さらに人は知らないことは見ようともしないし、見えもしないから、知識と好奇心もまた視角を多様化するために不可欠だ。そんなことを知ったゼミ生達は、旅に出ても、これまで以上に多くのものを見てくることができるようになってくれたことだろう。
 こうしたゼミ・フィールドワークの5日後に、こちらは11周年のニュージーランド研修引率である。ウルルン旅行く学問・文化人類学の「アド街ゼミ」の学生達に伝え得たことを、今度は南半球へと所を変え、相手をかえての、現地講義である。1年生ではある。しかし、こうしてみんなの書いたものを読んでみると、我ながら、結構伝わっている。いくつになっても、やめられない止まらない私の旅は、12周年の来年も、13周年の再来年も、旅に始まる私の研究をみんなに伝えることに重点を移して、続いていくことだろう。

                                 2001年度ニュージーランド海外研修記録