斗鬼正一書評 『サウンド・コントロール』(伊東 乾著)

共同通信 2011年5月配信 
5月15日高知新聞、徳島新聞、中國新聞(広島、山口、島根、岡山)、北國新聞(石川)、山梨日々新聞、秋田さきがけ
522日 山陰中央新報(鳥取、島根)、神戸新聞、福井新聞、新潟日報、神奈川新聞
529日 熊本日々新聞、愛媛新聞、山形新聞
530日 山陽新聞(岡山、広島、香川)

  心を支配する声の魔力

 怖いもの、地震、津波、火事、被ばく。雷おやじは遠い昔。物理学科卒にして音楽家の著者が恐れるのは、声による“メディア被ばく”だ。

 人間の脳と心を支配する「声」の正体に迫る本書では、足利義政の東山殿(書院造り)と、その庭園の「白州」に着目する。

 書院造りは武断統治の世に広まり、白州は江戸の世にも登場。その一つ、長崎奉行所では遠山の金さんの父も裁きを下したが、東山殿も長崎奉行所も、板の間、しっくい壁という反射材を壁や廊下に張り巡らし、将軍様、お奉行様の声をとどろかせる。白州の砂はお沙汰・お裁きを待つ人々の声を奪う吸音材。彼らを力ずくで納得させる声の権力装置というわけだ。

 宗教者蓮如は、識字率の低い庶民への手紙の朗読や猿楽で「歌の力」を活用、仏前能舞台という布教情報放射装置を創造して、一代で門徒を大拡張した。ローマ帝国のキリスト教国教化を成し遂げた聖アンブロジウスも、日常語だったラテン語で聖歌を作り、石造りの拡声装置つきの司教座を活用している。

 こうした音声メディアによる被ばくは、スピーカーやラジオの登場で深刻化。識字率の高くないルワンダで大虐殺を煽ったのは音楽番組だし、日本人も大本営の「鬼畜米英」の大声に被ばくして、「欲シガリマセン勝ツマデハ」と破滅への道を歩まされた。

 ルワンダ虐殺を裁くのも、非論理的な声が大きな役割を果たす法廷だが、実は元オウム真理教幹部の死刑囚と親友だという著者が恐れるのは裁判員裁判。音声、動画を多用するマルチメディア装置が「現代の司教座」となって裁判員を被ばくさせるという。

 こうして世界に響く「歌の力」を熟知した著者お薦めの「防護服」は、理性のメディアである「文字」に立ち返ること。だが100年先にも届くとも形容される、歌の無限の力を考えれば、「これにて一件落着」とはいきそうにない。

                           (角川学芸出版。2100円)

伊東乾 いとう・けん
 65年東京都生まれ、作曲家、指揮者、東大准教授。著書に「さよなら、サイレント・ネイビー」など