レンウィック夫妻の日本日記                              斗鬼正一
           
 私のこれまで八回のニュージーランド研修引率のうち、北島ハミルトンのワイカト大学への一回を除き、七回が南島のクライストチャーチ教育大学、リンカーン大学である。クライストチャーチでの二十一週間、ホストファミリーとして私をお世話下さっているのが、レンウィックご夫妻である。テオ・レンウィック氏はクライストチャーチっ子、国家公務員。モニカ・レンウィックさんは、南島北部の小さな村の牧場出身、私立小学校の校長先生。二人とも五十代も終わりに近いご夫婦である。こう記せば、ああ事前研修で話してくださったお二人だ、と学生諸君も覚えているはずである。
 その二人、昨年四月二週間にわたって、都内の私の家に滞在し、都内は勿論、日本全国を旅した。この時の二人の好奇心溢れる姿を紹介することは、これからニュージーランドを訪れる学生諸君に、異文化を求める旅とはどんなものであるべきかをとてもよく語ってくれることになろう。
 二人は東京が二度目である上、元々観光バスに乗せられて、観光地を連れて歩かれるだけ、という旅は好まない人たちである。日本人の日常の姿、普通の町、普通の生活を知りたいのである。他方で、前回は東京と近郊しか見ていないから、全国各地を見たいという。困ったことに新学期のきわめて多忙な時期であり、私と家族は都内近郊しか案内できない。そこで週末は都内近郊に一緒に出かけ、同じものを食べ、日常生活を一緒に過ごしてもらう。ウイークデーはJR全線乗り放題のジャパンレールパスで旅行してもらい、日本の全体像をつかんでもらう、という計画を立てた。
 到着翌日、まずは基礎知識として、江戸・東京の歴史を知ろう、というわけで、寝不足の目をこすりながら、江戸東京博物館。さらに国技館、相撲博物館。翌日は、品川、上野、御徒町、新橋、臨海副都心、浜松町。おそるべき人混みと、時刻表に接近表示まで付いたバス停、車内放送に電光表示、プリペイドカードと、至れりつくせりの路線バスを初体験。日曜は車で都内を走る。東証、日銀、議事堂、官庁街、学生街、電気街、空港、湾岸、邸宅街といった華やかな町、江戸・東京の歴史を偲ぶ品川宿、日本橋、そして工業地帯。他方職にあぶれ、どや代も払えない人々が、昼日中路上で酒をあおる山谷、ソープランドの並ぶ吉原、といった陰の部分も必見、東京の大きさ、多様さに驚く。
 月曜は早朝の新幹線で博多から特急に乗り継ぎ長崎へ。核問題に熱心なキウィとしては、ここと広島ははずせない。加えて熱心なカトリック信者である二人には、殉教の歴史も強烈な印象。坂の町を市電と徒歩で歩き、翌日は広島へ。ここでも原爆資料館。縮景園では、品川神社富士塚同様の「見立て」を理解。クライストチャーチの姉妹都市倉敷も是非にと一泊。京都駅からは三条のホテルまで歩いた上に、休むまもなく四条河原町まで往復。翌夕帰宅するや今度は東京タワーまで片道一時間の散歩、という調子。
 土曜日は郊外の住宅地へ。通勤は車で十五分という二人には、都心から電車四十分、駅徒歩十二分は驚き。すし詰め電車で一時間、駅からまたバスと徒歩、などという人も多い通勤事情を体験してもらわなければ、東京は理解できない。さらに車で近郊農村を回る。ガーデニングの国の人らしく、農家に大変興味を示す。
 日曜はまた繁華街巡り。池袋歓楽街のけばけばしさ、原宿の夜中まで遊び歩く若者に驚き、立ち食い、カウンターのあわただしい昼食にあきれ、恵比寿の居酒屋では、サラリーマン、OLの夜の生態を見る。
 再びウイークデー。今度は北海道へ。青函トンネルを体験、北島、南島が海で隔てられたニュージーランドと、橋やトンネルで結ばれた日本列島を比較したいのだという。函館でも、早朝の魚市場へ出かけ、日本人の魚食ぶりに驚く。
 戻るといよいよ待望の江戸川大学。キャンパスを見学し、前日からメモまで用意して、これからニュージーランドを訪れる一年生に熱心に、親身に語ってくれる。間接的ながら、長年研修に協力してくれた二人、本学には特別な思い入れがある。帰り道にも、これも待望のパチンコに挑戦、なんでもありの日本式スーパー、イトーヨーカ堂に驚く、という具合。
 こうして二人の日本の旅は終わった。長崎から函館まで、霞が関から山谷まで、日本を、東京を端から端まで歩いた。そして満足して帰っていった。こうした満足感をもたらしたのは、何といっても二人の好奇心と行動力である。何でも見てやろう、何でも食べてやろうの精神である。ソープランド街から墓地まで、何でも覗いた。厚揚げ、漬物から、姿造り、納豆まで、何でも食べてみた。日本式洋食にも驚いてみた。そうして二人の日本への理解は激変したのである。今回の来日前、二人は日本にホームレスがいるという私の話を、どうしても信じようとしなかった。彼らの日本のイメージは、トヨタ、ソニーのハイテクの国、おしゃれに着飾った人々が豪華な食事を楽しむネオン輝く銀座の町、といったものだけだった。すでに一度来日経験がある二人にしてこうである。
 二十年前の初来日では、迎えの車でホテルに直行、外国人観光客用の観光バスに乗って、お決まりの銀座、浅草、皇居、日光などを回ったらしい。「らしい」、というのは、私が二人の話しから推測するとそうらしいのであって、実は浅草も、日光も、当人達は覚えていないのである。あてがいぶちの食事も、日本酒で酔ってしまったこと以外は記憶にない。
 二十年前も、二人はホテルを抜け出し、町を歩いた。それも通りがかりの幼稚園を突然訪問し、子供達の歓迎を受けたり、眼鏡屋さんで日本の視力検査表をもらってきたり、という具合だったらしい。まさに好奇心である。しかし不自由すぎた。今回は、抜け出すまでもなくまったくの自由。好奇心の赴くままに歩くことができた。日本人の家に泊まり、同じものを食べ、日々の仕事と余暇の場所を訪れ、多様な階層の人々を見ることができた。そして二人は日本をより深く知った。それが二人の満足だったのである。
 団体行動より個人行動、観光地巡りより生活の場巡り、食べなれた食事より現地の食事、光だけでなく陰、といったコツを知っていたからこそ、満足できる旅ができた。こうした二人の旅は、好奇心と行動力こそ、異文化を体験し、理解するための最強の武器ということを教えてくれる。                                      『1998年度ニュージーランド・オーストラリア海外研修記録』(江戸川大学)