『謎の探検家 菅野力夫』書評
 共同通信社2010年7月配信
 掲載紙 南日本新聞、熊本日日新聞、中國新聞、日本海新聞、高知新聞、神戸新聞、静岡新聞、福島民友新聞、岩手民報、秋田さきがけ

 『謎の探検家 菅野力夫』若林純著

 血わき肉躍る生涯探索

 評・斗鬼正一(江戸川大学教授)

 もじゃもじゃ鍾馗ヒゲのつるつる頭、5尺8寸(約176センチ)の探検家ルックの巨漢が、ドクロぶらさげ、はい、ポーズ。どう見たってフツーじゃないこの絵はがき(本書表紙) の男こそ、謎の世界探検家菅野力夫だ。

 片ひざ曲げて斜めに見上げる決めポーズがキザなこの鍾馗様、実は世界各地で自らを撮った写真の絵はがきで知られた探検の鬼…らしい。

 生まれは明治20(1887)年。旧制中学中退ながら国家主義者頭山満の書生となり、同44年24歳の中国行きをきっかけに、好奇心と体力、胆力の赴くままに50代まで探検旅行十数回。「猛虎野二伏ス南洋島!!炎熱燃ユル印度ノ沙漠!!氷風骨刺ス バイカル湖上!!」。猛獣、官憲向こうに回す大探検。東海道自転車走破はほんの足慣らし、というフツーじゃない肉食系探検の鬼…らしい。

 帰れば帰るで、血わき肉躍る獅子吼大講演年100回以上。聴衆感激、新聞興奮という講演の鬼…らしい。

 こんな、亭主元気で留守がいいを地で行く探検人生ながら、私生活も花丸で、資産十分、愛妻に料亭買い与え、さすがに子どもはできないながら、養子を立派に養育。生涯浪人、組織に属さず、信念貫いて、足の向くまま、気の向くままに生き、老後は愛する故郷郡山(福島県)で温泉ざんまいだった…らしい。

 らしい、らしい、というのは、この鍾馗様、日記も報告書も未発見。もしや頭山配下の軍事探偵、大陸進出加担者かもと、謎だらけの人生だからだが、そこは著者のさらなる探索に期待するとして、この日本に、世界雄飛の人生大満足快男児がいたことは間違いない。

 ところがその日本、今や疫病神にとりつかれ、生き方も夢も無き草食系青年あふれる閉塞社会。

 ならば元落第生にして厄よけの鬼神となった本家鍾馗様同様に、元中退生の肉食系鍾馗様にも、青年よ荒野をめざせ、世界をめざせと「感奮興起」せしめ、「精神振興」を獅子吼する厄よけの鬼となってもらおう。

 (青弓社・2100円)

 わかばやし・じゅん 1957年東京生まれ、国内外の自然や建築、社寺彫刻を中心に撮影、企画、執筆