街という名の図書館                                   斗鬼 正一

 毎年斗鬼ゼミのフィールドワークは大阪の街を歩く。みんな旅と街歩きが大好きなだけに、一日二万歩歩いても、まだまだ歩けると涼しい顔だが、実はこの歩く力こそ、文化人類学を学ぶ上で不可欠な力なのだ。
 学問に必須の力といえば、まずは本を読む力だろう。人類が獲得してきた知識、知恵は、図書館という宝の山に集められた本に蓄積されている。だから、学問を楽しみ、自分の学問の世界を作っていくためには、多くの本を読み、読み取った情報を、自分の視点でまとめあげていかなければならない。そしてそのためには速読多読の技術や、一冊でも多く読んでみようという好奇心、幅広い知識、そして総合的に理解する力、といった「目で読む」力が不可欠、ということになるのだ。
 だが、文化、そして人という不可思議な存在の理解をめざす文化人類学の場合、それ以上に必要なのが「足で読む」力だ。ある文化、人々を理解するには、実際に生活の場を訪れ、直接人々と出会うことに勝る方法はない。現に大阪文化を理解するといっても、大阪文化というもの自体が存在するわけではなく、現実に存在するのは、大阪駅には裏返しに描かれた逆さ路線図があり、天王寺公園の路上カラオケではおっちゃん達がスター気取りで歌っている、といった小さな情報一つ一つでしかない。ある文化の理解は、そうした情報を丹念に集め、分析し、総合していくことによって、初めて可能になる。だからフィールドワークは歩いて、歩いて、歩き尽くして、多くの場所を訪れ、出会い、可能な限りの情報を収集する。もう疲れたからと通り過ぎてしまえば、見えたはずのもの、会えたはずの人と、永久に出会わない。そしてそれが理解のための決定的な鍵かもしれない。だからとにかく歩く力が基本、ということになるのだ。
 ただし、本も多読しさえすればよいのではないのと同様に、フィールドワークも歩きさえすれば理解が進む、というものではない。まずはどんなトリビアも見逃さない好奇心、広い知識と、総合力、つまり街を読む目が不可欠だ。同じ街を一緒に歩いても、読み取れるものは同じではない。歴史の知識がなければ、淀君の忘れられたような墓の意味など考えるはずもないし、そもそも目にとまらない。街を読む目が冴えてこそ、多くの情報を総合し、逆さ路線図とおっちゃん達とアメ村ファッションの関係が読み解け、巨大都市の文化の姿が形を成して見えてくるのだ。
 要するにフィールドワークとは、文化を「足で読む」作業であり、歩けば歩くほど、広く深い理解に到達する喜びを手に入れることができる。だから斗鬼ゼミは、尽きない読み物が並ぶ宝の山、「街という名の図書館」を歩き続けるのだ。
      『ユウレカ』第30号、2004(平成16)年1月、江戸川大学図書館