ラジオ関西 兵庫県高齢者放送大学講座 2009年2月21日放送
「これぞ世界の非常識」 斗鬼 正一(江戸川大学教授、文化人類学者)

日本人の常識は怪しい

*イタリアだってソバ料理

 おはようございます。江戸川大学で、文化人類学、を教えております、斗鬼正一です。

 皆さん、蕎麦お好きですか?てんぷら蕎麦もいいですが、ざる蕎麦を蕎麦つゆでツルツル、いいですね。日本人ならではの楽しみ・・・といいたいところですが、ちょっと待ってください。実は、ソバを食べるのって、日本人だけじゃないんです。

 そばつゆでツルツル、ではないですが、イタリア人もフランス人も蕎麦料理が大好き、なんて聞いたら、日本人はびっくりですね。

 でもイタリアでは、蕎麦のパスタや、蕎麦粉とチーズの揚げ物が有名ですし、フランスには、蕎麦粉のクレープがあります。ガレットといって、昔はブルターニュ地方の主食、今も郷土料理のメインに登場するほど、ポピュラーです。

 そういえば、画家ミレーの有名な作品「そばの収穫、夏」の舞台もフランスですよね。

 アジアなら、朝鮮半島、中国は、日本以上に麺を食べますから、言うまでもありませんが、ブータンだって蕎麦掻、パンケーキ、、ネパールにも韃靼蕎麦があります。

 なんだか日本人の常識、心細くなってきませんか。

*和式トイレは日本だけじゃない

 食べたら今度はトイレです。日本人は、トイレというと、和式と洋式といいますが、実はしゃがむトイレは朝鮮半島、中国はもちろん、モンゴル、タイ、マレーシア、シンガポール、カンボジア、ラオス、ブータン、インドネシア、インド、さらに中東のバーレーン、クウェート、アフリカのエジプトにもあります。そしてヨーロッパでも、イスラム圏のトルコの他に、ルーマニア、ギリシャなどにあります。

 まさに、日本人の常識は世界の非常識、なんです。

世界のびっくり非常識

美人


*首長美人  

 他にも世界のびっくり非常識、ご紹介しましょう。まずは美人です。

 ミャンマーの少数民族パダウン族の女性は、幼い頃から首の周りにはめた金属の輪を増やしていき、首を伸ばしていきます。腰を折り曲げないと、足元を見ることができないし、皮膚はただれるし、それどころか、自力で首を支えることもできなくなります。輪をはずすと、頭を支えなければならないほどです。日本ならロクロッ首ですが、ここでは首が長いほど美人、とされているからなんです。

*皿美人

 エチオピアのムルシ族の女性は、下唇に切れ目を入れて、輪ゴムのように引き延ばし、デヴィ、と呼ばれるお皿をはめ込み、お皿をだんだん大きくしていきます。そもそもデヴィを付けているのが正装ですし、おまけにお皿が大きいほど美人で、結納でもらえる牛の数まで増える、というのだからみんな必死でお皿美人を目指すんです。

*丸々太ったポンペイ美人

 太平洋の島々、ミクロネシアの美人の条件は、一つは髪が長いことですが、もう一つは、何と!太っていることです。実は、アフリカ、アラブなど各地で、太っているほど美人、という民族はたくさんいます。

 それどころかアフリカの南ヌビアでは、結婚する前の40日間、少女に穀物や肉の入ったヤギの乳を強制的に飲ませました。ナイル川上流地方では、牛乳、トウモロコシ粉など特別の食事を与えました。太り過ぎて、手足が動かせなくなった、なんていう記録もあるほどです。

 日本人のダイエット以上に大変そうですね。

*虹の色

 色の見え方については、どうでしょう。

 日本では虹といえば、七色。常識ですね。朝鮮半島、中国、フランスでも7色ですが、イギリス人、アメリカ人は、7色、6色、わからない、など、人によって違います。ドイツ人は5色です。  

 びっくりは、ジンバブエのショナ語を話す民族で、3色。バサ語を話す民族は、何と2色なんです。

 色が少ししか見えないなんて、未開民族だからでしょうか?

恥ずかしさ

*上半身裸のヤップ女性

 今度は恥ずかしさです。

 裸が恥ずかしいなんて、世界共通の常識、と思われるかもしれませんが、たとえばミクロネシア・ヤップ島の女性は、上半身裸で暮らしています。でも、恥ずかしいなんて、全然思っていません。

*全裸のゾエ

 それどころではありません。ブラジルで、1975年に存在が確認されたゾエ族は、石器時代そのままの暮らしで、最後の石器時代人、と話題になったのですが、もっと世界を驚かせたのは、何と彼らがまったくの裸で暮らしていたからです。

 まさに裸族。未開民族だから、恥ずかしいなんて思わないのでしょうか。

ゲテモノ

*犬猫を食べる

 食べ物はどうでしょう。

 世界をグルメ旅してみれば、アリ、芋虫、クモ、ウジ虫、寄生虫、蛇、トカゲ、果ては孵化しかかったアヒルの卵、イグアナのゆで卵と、何でもありです。

 中でもショッキングなのは、犬ですね。お隣り韓国では、ポシンタンという、犬(いぬ)肉とご飯を入れたスープは滋養効果が高いと好まれます。スユクというゆで肉や蒸し肉、チョンゴルというすき焼きもあります。

 中国のチャウチャウ犬だって元々食用犬ですし、ベトナム、ポリネシア、ミクロネシア、そしてスイスなどで、様々な犬(いぬ)肉料理が食べられています。

*変、おかしい、野蛮

 こんな話を聞くと、日本人は生理的にダメ。聞いただけで吐き気がしますね。

 それどころか、犬を食べるなんて、あまりに変、非常識。野蛮な人たちなどと、嫌悪、差別してしまいそうです。                  

常識とは

*常識は大事

 でも、そう感じてしまうのは、私たちが、日本の文化を“常識”、“当たり前”として、それを基準に考えているからです。

 もちろん常識、当たり前があるから、日々の生活で一々考えることなく物事を進められ、生活も、世の中も、うまく動いていきます。だから自分たちの常識、当たり前を、当たり前、と考えるのは当然のことです。

 常識は大事です。常識というものが無かったら、世の中大変です。

*民族独自の常識

 ただ問題は、世界のどの民族にも、それぞれの常識、当たり前があり、それを基準に生活し、物事を考えている、ということです。

 つまり世界中どの民族も、みんな自己中なんです。

 事実、日本人がソバを食べると聞くと、イタリア人は仰天しますし、刺身となると、いわゆる未開民族だって、「何と野蛮な」とあきれ果てるんです。

*国際化で喧嘩紛争

 これでは世界中喧嘩です。実際、文化を異にする民族間の紛争は絶え間ないですね。

 少子化が進む日本では、これから人口が減り、否応なく国際化が進みます。世界の多くの国では当たり前な、同僚や近所に、同級生に、そして家族にも、外国人がいるのが当たり前、という時代になるでしょう。

 そんな社会で、日本の常識だけが絶対で、異質の外国人は非常識な困った人、としか考えられなかったら大変です。

どうすりゃいいの?

*絶対的ゲテモノはない

 ではどうすればいいのでしょう。

 ところで、本当に犬の肉は”生理的にダメ”でしょうか。たとえば岩は、人間の胃腸が消化できないですから、岩を食べる民族がいないのは当たり前です。でも犬の肉は、どの民族も消化できます。第一、犬の肉と知らないで食べても、吐き気がしますか?しませんね。食べた後で犬の肉とわかったとたんに、吐き気がします。つまり子どもの時から「犬は人類の最良の友」などと教えられ、食べるなんて想像もしなかったからこそ、吐き気がするにすぎません。生理的にダメなのではなく、文化的にダメ、ということになっているだけなのです。

 何を食べるべきか、何は食べてはいけないかは、それぞれの文化が独自に決めています。ですから、自分たちの文化で、食べてはいけない、とされているものを、他の文化が、食べても良い、と分類している場合に、”ゲテモノ”という烙印を押してしまう、というだけのことです。つまり、絶対的なゲテモノ、なんてものは存在しないのです。「犬は人類の最良の“ご馳走”」という民族がいたって、何の不思議も無いのです。

*お互い様

 実際、日本伝統の鯨料理や刺身が、爬虫類を食べる民族には野蛮に見えたり、昆虫を食べる民族にゲテモノ扱いされたりします。

 つまりお互い様なのです。

*実はゾエは裸族ではない

 実は裸も同じです。女性が上半身裸で暮らしているミクロネシアのヤップ島ですが、この島を、日本女性がビキニで歩いたら、非常識です。胸は見せてもいいけれど、足は見せてはいけないのです。つまり、体のどの部分を隠すべきかは、文化によって違うのです。

 裸族と笑われたゾエ族も、実は裸ではありません。彼らは下唇に穴をあけ、プックルという木の棒を挿しています。子どもの頃から始めて、段々大きなものにしていき、大人は直径5cmもあるものを刺していますが、これが”正装”なんです。そんなゾエ族から見れば、プックルもしていない文明人こそ非常識なわけで、自分たちが裸族だ、なんて笑われたのはずいぶんと心外なことだったのです。     

*何を恥ずかしいとするか、民族によって違う。

 食事だって同じです。日本なら、夫婦が一緒に食事をするのは当たり前ですが、ヤップ島の人の目には、実に非常識なことに見えます。家族でも男女別々の家に住んでいたヤップの文化では、たとえ夫婦でも、男女一緒に食事するのは、恥ずかしいこと、とされていたからです。

 食べた後はトイレですが、入ってみたら扉がなかった、などというところも、世界にはたくさんあります。

 食べることと排泄することは、生き物としてしなければならない一連の行動です。これを、どちらも同じようなもので、隠すことではない、と考える民族ならば、扉なしのトイレも当たり前、ということになります。逆に、ヤップ島の人たちは、どちらも恥ずかしい、と考えました。そして日本人は、排泄は恥ずかしいけれど、食べることは恥ずかしくない、と考えた、というわけです。

 恥ずかしいと感じるのは本能ではありません。それぞれの文化が、何を恥ずかしいとするかを、独自に決めているのです。実際、開放的なトイレが何でもない民族が、日本人のように、他人と一緒に裸になって風呂に入る、なんてとんでもない、というのです。

理解できる

*家族というものがない民族!

 ではなぜ、こんなに常識は違ってしまったのでしょう。

 カナダ北西部の酷寒の地で、ウサギを追う狩猟生活を送っていたヘヤーインディアンという民族には、もともと「家族」という概念がありませんでした。

 無論、誰と誰が夫婦、親子、といったことはわかっているのですが、同じ丸木小屋やテントで暮らす顔ぶれは、しょっちゅう変わります。家族は一つ屋根の下で暮らすのが常識、などということはないのです。

 男女も、気が合っている間だけ同棲すれば良い、という考え方で、複数の相手と関係を持っているのが、当たり前。子どもは親が育てなければいけない、というわけではなく、育てられる人が育てれば良い、というのです。

 そんな調子だから、子どもの父親が誰かわからない場合も多いのですが、優秀な男をわが子の父、ということにしたい母親が、噂を流したりするうちに、世間が父親を認知してしまったりするんです。

 なんだか訳が分からない、と思われるかもしれませんが、実は彼らの生活する酷寒の地では、獲物の分散状態や皮なめし作業の都合などで、臨機応変に、個人個人が分散して、生活する必要があるのです。愛と性と結婚は別々、という流動的な婚姻関係も、小規模な社会で、人間関係の亀裂を決定的なものにしないための知恵なのです。彼らの常識は、極限の環境の中で生き抜いていくために、作り上げられたものなのです。

*美人も環境で変わる

 文化による美人の違いだって、環境次第です。現在食べ物に困らない先進国では、スリムなほうが美人、というのが常識ですが、歴史を振り返ってみれば、食べ物がふんだんにある、などというのは一部の人だけです。ですから餓死の心配もなく、たくさんの食べ物を食べられ、丈夫な子孫を残せるような、太った女性の豊かさへの憧れが、美人の物差しになったというわけなのです。

*香港の葬式はパチンコ屋の開店

 同じアジアの例をあげましょう。

 香港といえば、日本人にはおなじみの街の一つです。でも、お葬式に出くわしたら、余りの違いに驚きます。まるでパチンコ屋さんの開店祝いみたいなんです。赤や黄色の花輪で華やかに飾り付けられ、「福」「寿」などというおめでたい文字が躍っています。

 多くの参列者は平服で、ジーンズの人もいます。女性は、華やかな金やダイヤのアクセサリーを付け、おしゃべりに夢中です。賑やかな音楽と共に始まり、死者は華やかな造花が飾られた霊柩車で、火葬場に向かいます。

 日本では、お葬式は、誰が死のうと、しめやかに、厳粛に行われるべき、というのが常識です。同じ仏教だというのに、香港の華やかで、賑やかな、まるでお祝い事みたいなお葬式は信じられません。人が亡くなったのに、あまりに非常識、などとも思えてしまいます。

 でも、実は香港人にとって、お葬式は本当にお祝い事なのです。つまり、人はいつか死ぬ。だったら良い人生を、長く生きた人の旅立ちは、みんなでにぎやかにお祝いしなければ、ということなのです。実際、亡くなったのが若者の場合は、悲しみに沈んだお葬式をする、と聞かされると、なるほど、そういう考え方もあるな、とちゃんと納得がいくでしょう。

*異文化も、ちゃんと知れば納得がいく。

 実は同じ人間同士、相手の暮らす自然環境や価値観を知れば、たいていは理解できるのです。 

 つまり、日本の常識はあくまで日本の常識に過ぎず、絶対的なものではありません。自分たちの常識、当たり前はそれとして、世界には、他にもたくさんの常識、当たり前がある、ということを認識すること。そして互いに違いを認め、理解しようとすること。これこそが、日本人にとっても、人類全体にとっても、すごく大事なことだと思います。

日本の中でも地方によって違う

*色 沖縄 虹は2

 これまで、異文化との関係を考えてきました。でも足元の日本の中はどうでしょう。

 たとえば色の見方ですが、実は沖縄では、卵の黄身のことを、何と“青身”と呼んでいました。奄美大島では“赤身”です。

 そればかりではありません。昭和30年代頃まで、東北地方では「ミカンが真っ赤」と言っていた記録があります。津軽地方や、鹿角地方では「菜の花畑が真っ青」と言っていたそうです。秋田県では「青い表紙」の本が黄色だった、といった話もありますし、長野県北安曇郡では黄セキレイを青シゲ、岐阜県飛騨地方でも、黄色の菊のことを青菊と呼んでいた、といった例があります。

 異文化どころか、実は日本の中でも、元々色の見え方は、色々だったのです。

*ゲテモノ

 ゲテモノだって同じです。

 関西の方の中には、納豆を腐った豆、と思っている方もおられるようですが、逆に納豆が大好きな関東の人間には、あの臭いナレ寿司は、腐った魚としか思えません。

*葬式に赤飯

 お葬式だってそうです。お葬式の参列者に赤飯を出すなんて聞いたら、非常識、と思われるかもしれませんが、南西諸島、中国、北陸、東北地方など、各地にあります。京都だって、江戸時代は赤飯だったそうで、赤飯はお祝い事、となったのは、江戸時代後期です。疱瘡を治すのに赤飯の赤い色の力に頼り、快復祝いにも赤飯を食べたことがきっかけだそうです。

 北海道の場合は、お祝い事には赤飯、お葬式には黒豆入りの黒飯です。お祝い事もお葬式も、どちらもハレの行事ですから、ハレの料理である豆入りのご飯を出すのです。その中で、豆の色を違えて区別する、という考え方なのです。

変化激しい現代社会

 このように、日本の中でも地方によって常識はずいぶん違いますから、自分たちの常識を絶対と思ってしまったら、非常識なことだらけに見えてしまいます。

 おまけに現代は、変化の激しい時代です。パソコン、インターネット、携帯と、どんどん新しいものが登場します。そうなると、常識も変わっていかざるを得ません。だから世代によっても、常識はどんどん違ってしまいます。そうなると「近頃の若い者は」と腹が立つばかりです。

 いやそれ以前に、いつの時代でも、常識は一人一人同じではありません。兄弟だって親友だって違っています。

 つまり、自分の常識、当たり前にとらわれ過ぎると、異文化との出会いも、人との付き合いも大変です。頭もどんどん固くなってしまいます。楽しめることも減ってしまいます。

 人生トラブル続き、世の中腹の立つことばかり。ストレスが増えるだけです。

得するやわらかあたま

 こんな風に見てくると、やっぱり一番お得なのは、常識、当たり前なんて、絶対的なものでも何でもない、あくまで相対的なもの、と考え、楽しんでしまう、そんな柔軟な考え方ではないでしょうか。

 下唇にお皿を入れたムルシ族の美人に出会っても、気持ち悪い、野蛮、などと評価してしまう前に、人間って何て色々でおもしろいんだろう、と楽しんでしまう。お葬式で赤飯を出されても、なんと非常識な、と怒る前に、なぜだろう?と探求してしまう。

 そんな考え方をすれば、異文化との出会いも、他人との付き合いも、うまくいきます。頭も軟らかくなり、発想力も想像力も広がります。楽しめることも増えます。自分の生き方、考え方は世間の常識とちょっとずれている、と悩んでいる人も、たまたま現在の日本の常識がそうなっているだけ、と考えたら、人生もっと気楽に生きられます。

 「時には楽しく非常識」。これこそ人類にとっても、私たち一人一人にとっても、上手に生きる秘訣なのかもしれません。