フィールドワークとニュージーランド研修           斗鬼 正一

 文化人類学の方法論で、もっとも基礎をなすのはフィールドワークである。人類学者は研究のほとんどすべてはフィールドワークから始まる。それは文化人類学が、人の研究だからである。究極の目的は、人々の作りだした文化、社会の姿から、それを作りだした人々自身を探っていこうとする。それは人間の研究は、人間に直接ふれあうこと、生活をともにする異によってはじめて可能である、と考えるからである。人を一番良く知る方法は、生活を共にすることである。

 私自身すでにニュージーランドに4回、そのうちクライストチャーチに3回で、さらにその3回とも同じホストファミリーにお世話になっている。またきましたね、という気軽さで、ある。人類学的フィールドワークは微に入り細にわたり、人々の生活のあらゆる側面に関する情報の収集がねらいである。たとえ同じはいであっても、どのようなはいなのか、。衣服と空間の問題を調べたことがあった。いくら協力的なインフォーマントでも、服を全部見せてください、という調査はなかなかできない。しかし、毎日生活を共委していれば、今日はどこにくのか、誰と会うのか、などは手に取るようにわかってしまう。わざわざ聞かなくても、どこに何を着て行くのか、などは簡単にわかるのである。食事の料理をどの様に並べるか、などということも、毎日見ていれば、。要するに、何に喜び、何を悲しみ、何を目指して生きているのか、を知ろうというのである。例えば、自然と文化の対立、といった抽象度の高い問題も、いきなり抽象的な文献研究からスタートするのでなく、きわめて身近な事例、例えば掃除の仕方、皿の洗い方、犬のふんをどう始末するか、といった恐ろしく身近な事例から、清潔感、自然と文化の対立といった抽象度の高い問題へと展開していくのである。固有名詞を重視した、一人一人に密着した、文字通り生の情報が命なのである。

 本学のニュージーランド研修はその意味で、まさにミニフィールドワークなのである。いくら聞いても、読んでも、百聞は一見にしかず、体験してもなければわからない、まして異文化の場合は、なおさらである。
             1994年ニュージーランド海外研修記録