江戸川区フィールドワーク〜水神信仰と人の生活〜

荒川泰英

〜はじめに〜

 江戸川区では現在、親水公園や堤防などが整備されており、豊かな景観と安全対策が保たれている。しかし、これらに見られる通り、昔のこの地域では「雨降れば水浸し」と言われるほど数多くの水害などの自然災害との戦いと共に生活することを強いられてきた。その手段として、数多くの堤防建設の改善などによる人為的なものが挙げられる。もう一つは、神社などに祭った神を信仰することで自然災害から自ら及びその地域の守護を神に委ねる、つまり神秘的なもの、超自然的なものの力を借りて自然の猛威と戦うという手段が挙げられる。

 江戸川区は江戸川と旧江戸川、中川に囲まれており、その周辺には末寺ではあるが数多くの寺が残されている。また、そこには水神信仰の歴史なども残されているということに加え、その周辺の地域にまつわる話し、人名、出来事などが寺の入り口の立て看板に記されていることが多い。こうした事実から、上記に挙げた後者の神秘的な力に頼る行為という視点で「江戸川区の水と生活について」を調査した。

〜水神と講〜

 水神は江戸川区内の神社の多くに祭られているという。「講」という神社参拝を行っていた団体に昔から信仰の対象とされていたものであるが、その目的は、「水による被害を少なくすること」、「水による恵みへの感謝」であった。半漁半農で生活を営んできたこの地域では、「家内安全・無病息災」に加え、「万年豊作」と「海上安全」という目的が重要だったようだ。また、水神を挙げた祭りが行われることもあったという。その内容は、決定した日に、その地域で神社参拝を行っていた集団いわゆる「講員」が集まり、題目を読み、その後に酒を飲み交わすことで「講」の集団意識を高めたという。内容は町内会などの寄り合いに近い雰囲気であり、地域の差はどれも似たようなものだった。現在では、こうした祭りは徐々に自然消滅したという。しかし、まだ残っているものもあると言われているが、こうした形式で公に行われるものは希少である。

〜小松川・境川沿岸の水神〜

 昔から伝わる水神は、自然の猛威に耐えようとする村人達の拠り所として価値のあるものであったが、技術や物資などあらゆる物に恵まれるようになった現在では、あまり重要な意味を果たさないと言えるかもしれない。しかし、その地域に残る歴史の証明として現在と今後に向けて保存しておくべきものであると思う。そこで、数多くある地区の神社の中から「小松川・境川沿岸から平井地区」の五つの水神を調べた。

  1. 道ヶ島の水神(旧西小松川村)

    現在は、江戸川区中央の香取神社の境内にこの水神社が祭られているが、もとは西小松川に祭られていた。そこは、小松川・境川の支流である「舟入川」の川尻で、農業用の発着所であった。

  2. 五分一の水神(旧西小松川村)

    かつては舟入川にかかる五分一橋の南に祭られていた。しかし現在では松島に祭られている。近代化に伴い、下水の整備や洪水の防止策のため埋められてしまったためである。

  3. 北の庭の水神(旧西小松川村)

    小松川・境川にかかる松江橋の近くに水神社があったが、今はなくなっている。

  4. 東小松川の水神(旧東小松川村)

    東小松川には、上の庭・新道・中の庭・入の庭・大江川・渡し場・品清という七つの集落があり、それぞれに水神社が祭られている。また、水神社の多くが、小松川・境川から各集落の水田へ引かれた用水の入り口に祭られていたという。現在では、上の庭は松島に祭られ、

625日が祭日とされており、昔はその一帯が水田だったために農家を営む人々には重要な行事と言える。また、中の庭の水神は明治期に「水神宮」の文字碑がたてられ、渡し場には、東小松川に木造の水神社があり、土地の人々が奉納した玉垣で囲われている。大江川にも水神社がある。このように、それぞれの集落ごとに水神社、あるいは石碑として現在も祭られている。

旧上一色町というところがあり、その周辺を昔は「塚の越」と呼ばれた。ここは小松川・境川の船着き場であり、土地の人達は「河岸」とも呼んだ。この旧上一色村は、小松川・境川が唯一の交通路であったため、この河岸に入る船が、肥料・苗床用の塵芥・生活物資・建築材料・庭石・敷石などが運ばれ陸揚げされていた。また、この村の水神は、この川を利用して舟を使っていた村人によって信仰されていた。現在は、上一色町に東稲荷神社と共に祭られている。

〜感想〜

 これまで挙げてきた神社は江戸川区内でもごく一部のものであり、まだ多数の神社が残されている。しかし、今回の調査での収穫は、現在に至るまでの流れという歴史だけでなく、当時における住民の最上の努力を知識として得られたことである。江戸川区を散策すれば、親水公園やスーパー堤防など、この数十年の間で培うことのできた知恵の結晶を見ることができる。この結果により、何十年もの間苦しめられていた自然災害を避けることができるようになったと共に、人間と自然の共存が実現されている。人間は自然を淘汰するだけではなく、この江戸川区に見られるように、「共存」という方法があるということをこのフィールドワークでより身に染みて実感することができた。

 しかし、人工的な環境が作られた中でも神社など、神秘的な力を持つものは未だ存在している。冠婚葬祭などの儀礼などにも重要な役割を果たすということは言うまでもないが、人間にも未だ不明とされる超自然的なものが必要とされることがあるからであるとも言えるのではないだろうか。今でも残されている多くの神社や水神、石碑など、かつて人々に頼られていたものは、今度は次なる進歩を支え、見守る存在となるかもしれない。